日経新聞はリベラル系なのか

※この記事はそこまでまじめに調べて書いたわけではありません。
 個人的な意見など多分に含まれていますので、話半分でご覧ください。←これ重要!

先日、ふとリベラルの反対が何だったのか思い出せず、グーグル先生にたずねに行きました。リベラルという言葉はよく新聞で使われますから、グーグル先生にリベラル、新聞と入れて検索したんです。その結果一番上に出てきたページが、これです。

日経新聞はリベラル系ですか
A……リベラルが日本経済にプラスになると判断するならリベラルですし、そうでないなら保守的な新聞だと思います。……(途中略)

[http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4414190.html[教えて!goo]

結果リベラルの反対は保守だとわかったんですが、なんだかこの文ひっかかる。なんだろ、前にも似たような言葉をどこかで見た気がする。ちょっと考えて、思い出した。この内容、ニューヨークタイムスに似てるんだ。

ニューヨークタイムスってわりと中立なのかも

去年の夏、僕は学校の課題で「ニューヨークタイムス物語」(著:三輪 裕範)という新書を読みました。その中で作者はニューヨークタイムスのことを、「これほどリベラルと保守のバランスが取れている新聞はそうない」みたいなことを言っていたような気がします。図書館で借りたので現在手元に資料が無いのが残念ですが、概ねの意味はそんな感じだったと思います。その時に僕が提出した課題を見直していたら、この部分について書いてあったので、当時の僕の意見を書いておきます。この辺は普通に読み飛ばして頂いてかまいません。

ニューヨーク・タイムズから見る日本の活字メディア
しかし、活字メディアは数多くのものが存在し、新聞一つとって見てみても、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞毎日新聞産経新聞、その他地方紙など、多様に渡って発行されている。そのどれもが同じ内容であるはずもなければ、同一内容であっても問題の捉え方が正反対であったり一方的な決め付けでのみ書かれている記事も多い。そうした中で我々読者が一つの新聞社の記事によって踊らされ、操作されることは避けなければならない。メディアは様々な角度から一つの問題を提示し、それを読者に問いかけ考えさせるものであるのが望ましい。しかしそれが現在の活字メディアで行われているかと考えると、少々怪しい話になってくるだろう。
三輪裕之氏は著書「ニューヨーク・タイムズ物語」(中公新書)の中でニューヨーク・タイムズの記事と日本の新聞社の記事を比較して、ニューヨーク・タイムズがいかにリベラルと保守の色が出ている記事をバランスよく掲載しているかを社説や記事の方向性を示しながら紹介しているが、それはニューヨーク・タイムズほどの新聞でないとバランスの取れた記事は読めないことを裏で示していて、日本の新聞は国民に各新聞社の指針に沿った書き方をした記事を提供しているように見えても仕方が無いと痛烈な批判を展開している。
新聞本来のあり方は、一つの問題を様々な角度から記事にして読者により多角的な議論を促すためのものであった。それが失われている現在の日本の新聞は、新聞の存在意義自体を歪めているとも考えられる。

なんでこんなレポート書いたんでしょうね。過去に戻れるならこの歴史すべてを抹消したい。三輪氏の新書自体がニューヨークタイムスを取り上げるために書かれた(NYタイムスにとって)善の書ですから、あまりこの本ばかりを迎合は出来ません。そもそも10年も前の本です。当時のNYタイムスは読者数が減り大幅な紙面デザインの改革を実行していた時期だったので、現在のNYタイムスと著書内のそれとは、別物になっている可能性もあります。
三輪氏がここで言いたかったことは、NYタイムスは一つの記事を多面的に見せようとしている、ということ。
一つの記事でも、保守派とリベラル派の両者の評論家であり学者であるを立て、両方の記事を載せます。そうして様々な特性を持つ記事を読者に読ませることで、読み手側での自発的な討論、考察を推奨している印象があります。もちろん新聞、ニュースはそうであるべきですし、そもそも押し付けられる記事では読んでいる僕たちも頭に入ってきません。思考停止すれば、それこそ日本のマスコミにとっては喜ばれることなんでしょうが。

ままならない結論

NYタイムス物語の中で三輪氏は「日本の新聞は国民に各新聞社の指針に沿った書き方をした記事を提供しているように見えても仕方が無い」と言っていますが、そうなると最初の日経新聞の考えと違うんじゃないかなと思います。ですが、それは二つの文を比べてみると、なんとなく見えてくる気がします。

「NYタイムスは読者に語りかける」(三輪氏)
「日本経済にとってプラスになるなら、リベラルにも保守にもなる」(教えて!gooの回答)

要するに読者の為か、国の為か、という意識の違いなのかな。この違いは文章で読むとそれほどでもないんですが、意外と決定的なんじゃないだろうか。
普通に考えると、国益やら企業向けに記事書いてる日経新聞がリベラルとはいいにくいと思いますが、日本の他の新聞社が私文を書きすぎてるので、その中ではリベラルに見えなくもない、といったところ。
なんか当たり前な結論ですいません。

オマケというか、こっちの方が面白いというか

僕の学校で新聞学を教えている現役記者の人がいるんですけど、その人がぼそっと言った各社の印象を書いておきます。現場の人ではありますが、結構感情的で古臭い人なんで、きっと個人的な評価なのだと思います。
上の記事もそうだけど、ここから下は更に話半分でお願い!

左―――――中―――――右

朝 東毎      読     産
日 京日      売     経

右とか左とかの意味は僕にはわかりません。そういうことにしておいてください。わりと本気で。僕も全部の新聞を購読しているわけではないのでその新聞を購読している方を不快にしたかもしれませんが、その場合は申し訳ありませんでした。もし一人暮らしで新聞を購読する機会があるとしたら、僕はこういったことではなく、きっとお米10kgとかくれるところと契約するとおもう。物につられる。思考停止して新聞社の思惑通りに契約させられる!


参考書籍